2020年11月3日火曜日

【自著紹介】平原遺跡と三つの方角

 自作本、「継続としての日本古代史」及び「断絶としての日本古代史」の新装版を発売いたします。小論「平原遺跡と三つの方角」については、収録本の変更を行いましたので、これを機にグーグルドライブにて無償公開させて頂きます。

https://drive.google.com/file/d/16Zaxqtay1zHHKMJsOJKx9ir-QoB-BKGM/view?usp=drivesdk

是非読んでみてください♪

2020年7月23日木曜日

【自著販売】断絶としての日本古代史

ネットSHOPを作りましたので、そちらから自作本の販売を行います!

https://roomofwisdom.thebase.in/

アマゾンでの販売は魅力的ですが、敷居が高いので諦めました(笑)


2020年7月13日月曜日

【自著紹介】継続と断絶

新装版として、継続・断絶の二冊の自著を製本直送さんからご注文できるようになりました。新版からは、図書コードも取りましたので、Amazonでの販売もいつか挑戦したいですね!

<継続としての日本古代史> 製本直リンク
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=186449688

<断絶としての日本古代史> 製本直リンク
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=186449690

それぞれ、立ち読みもできます♪

2020年7月6日月曜日

【自著紹介】断絶としての日本古代史 

7月に自著の第二作目を上梓しましたので、紹介動画のリンクを貼っておきます。
題名は「断絶としての古代史」です。

歴史上の敗者として忘れされた存在、マツロワヌモノから古代史の再現を試みる意欲作です。

-其国、明けに真澄の鏡を奉り
-出雲の地に朱(あか)き稜威を齎さん
-御杖の御子、粗木の宮にて、また神上がりせば
-空満つ美和を永遠に照さん

https://www.youtube.com/watch?v=3A-aN-_GXAs

紹介動画は、我ながら非常によくできましたので、是非ご覧ください。


2019年11月9日土曜日

【歴史本】「論語の新しい読み方」「弟子」

今回取り上げたいのは、中島敦の「弟子」と、宮崎市定の「論語の新しい読み方」です。

 中島敦は、私が一番好きな作家です。高校の教科書で「山月記」に出会ったことは、私がいま、中国語を使って貿易関係の実務をしていることと、やっぱり関係有るんだろうと思います。進路を選ぼうとしていた高校生の私にとって、それほど、中島敦の文体は「美しい」ものだったと思います。

 さて、今回は、その中島敦の中でも私が特に好きな「弟子」とを取り上げたいと思います。「弟子」は、淡々と孔子とその弟子、子路の交流を描いた作品ですが、どうしてもその最後の1ページで、何度読んでもどうしても涙が溢れ出てきます。「弟子」の特色として私は下記の点が挙げられるかとおもいます。それは、

ー「孔子を儒教の聖人としてではなく、生身の人間として捉える」ー

という点です。この点で中島敦の「弟子」と全く同じスタンスなのが、宮崎市定です。「論語の新しい読み方」は、一個人としての孔子といわば孔子学園とも言える学びの場にて行われる弟子の遣り取りを非常に身近なものとして切り取っていきます。その中で宮崎市定は、孔子がその生涯を振り返って述べた有名な一文について、新鮮な読みを提示します。

ー「七十にして、心の欲するところに従い、矩(のり)をこえず。」ー

(吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順。七十而従心所欲不踰矩)

普通この文は、孔子が段々と徳を積んで、70歳になり誰にも及ばない聖人の境地に立ったのだ、と解釈します。しかし、宮崎はこの一文を「孔子が自身の気力の衰えたことを嘆く言葉」として捉えます。私もここはやはり宮崎の読みの鋭さに大いに共感します。70歳を超えた孔子の身に振りかかったもの、それは決して幸福な出来事であったとはおもえないからです。

歴史上に実在した個人としての孔子は、74歳になくなりますが、その最晩年には、どうも言いようのない寂しさが付き纏っているように思います。BC481年、72歳の時、まず孔子が愛した弟子とも言うべき顔回が無くなります。孔子の悲しみは非常に大きく「天が私を滅ぼした!(天喪予!)」と嘆きます。更には、同年、魯国の西で狩りが行われ、麒麟が捕らえられたと聞き、平和な世に現れるはずの吉祥である麒麟の遺骸をみて、「我が道は行き詰まった!(吾道窮!)」と嘆き、それまで描いてきた「春秋」という歴史書を書くのを止めてしまいます。

そうして、その翌年、BC480年にまたもや、愛すべき弟子であった子路が就職先の衛国の動乱に巻き込まれて死んでしまい、先立たれたことを伝え聞くのです。中島敦は「弟子」の最後において、子路の死をこう簡潔に叙述します。

ー「『見よ!君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!』
全身を膾(なます)の如くに切り刻まれて、子路は死んだ。ー

その死の知らせを聴いた孔子は、潸然と涙を流します。 ここには「聖人」のものなどではなく、孔子、一個人の隠しようもない悲憤、やるかたなさ、剥き出しの感情があるように思います。

中島敦の「弟子」、宮崎市定の「論語の新しい読み方」。決して新しくはない本ですが、読まれていない方は、是非手にとってみてください。ちなみに私が毎回涙してしまう、子路の最後の言葉ですが、「史記・衛康叔世家」には、

◾︎「子路曰『君子死、冠不免』結纓而死」
岡上訳:子路は「君子は死しても冠は免ぜられず」といって、冠の紐を結んで死んだ

と有ります。自らの冠(職位)に殉じた子路の死を的確に表現した司馬遷は、流石に名文家です。


2019年11月2日土曜日

【その他】聖書と論理哲学論考

今回はFB側での投稿についてこちらにも記録のためアップしようと思います。
実は、fbにて古代史論考の紹介動画を作ったのですが、その際にちょっとした文をつくったその背景を書いておきたい思います。普通には動画を見ただけではよくわからないと思いますので。最近、聖書を手にするようになって、素晴らしい閃きがあったのでそれを紹介動画にもつかったということで、今回は、その閃きについての解説ということです。まず、動画で使った冒頭の紹介文を引用します。

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継続としての日本古代史
Final Chapter - an end of  the Tractatus(*4)-

はじめに物語(*3)があった
In the beginning was the Word(*2), 

物語は神とともにあり
and the Word was with God, 

そして、物語こそが神であった
and, the Word was God.
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まず"In the beginning was the word(*2)"から始まる英文ですが、これは、分かった方もおられるかと思いますが、新約聖書のヨハネの福音書の書き出しです。普通には「はじめに言葉があった」という日本語訳がついていますが、岡上私説の論考については、あくまで物語として歴史を読み解こうとしていきますので、敢えて「はじめに物語があった」と「物語(*3)」というキーワードに置き換えてみました。実際、ヨハネの福音書はイエスの数々の物語が書かれていますから、意訳としても全然アリなのではと思っています。

それから、私は自分の古代史考察をずっと「論考、論考」と言っていますが、これはどうして「考察」や「推論」と私が呼ばないかについてですが、実は「論考」といえは、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」という難解で有名な哲学書があり、それを意識して論考という単語を使ったからです。論理哲学論考の原題は、「Tractatus Logico-philosophicus」ですので、今回は、その「Tractatus(*4)」なる単語を使ってみました。今回のfb論考は、全体で四部64回構成ですが、もし、まだ次回があるなら今度は「探求」を使ってみたいですね!

で、なぜ古代史の論考の紹介動画で、「聖書」と「論理哲学論考」なんだ、という点については、それは「それの方がなんかカッコイイからです(笑)」というのが最大の理由ですが、実は「In the beginning was the word」から始まる一文が、まことに、まことに、「論理哲学論考」の精神を表す言葉なんではないかなと思うからですね。ウィトゲンシュタインの「論考」は、ものすごく妖しい魅力を放っている本ですが、その魅力の一つに、論理を語る本にあるにもかかわらず、極めて教条的な文言が淡々と書かれていて、論述が論理的ではなく、矛盾した性格がある点が挙げられるのではとおもいます。そして、その教条の第一条が「世界は成立していることがらの総体である。」であり、第二条が「成立していることがら、すなわち事実とは、諸事態の成立である。」という文言なんですよ。ヨハネの福音書の冒頭「はじめに言葉があった」という「言葉」は、ギリシャ語原文では「Λόγος = logos=ロゴス」ですので、即ちそれは「Logic(論理)」そのものと言えるかと思います。

論理哲学論考が超絶にエキセントリックで人を惹きつけて止まない点は、「思考の限界について語ろう」という極めて野心的なその企画にあるのですが、それは世界を「事実=言葉(成立した諸事態・命題)」として、強烈なまでに単純化して捉えてしまうところにこうした離れ業的な企画が成立する余地があるのだと思うのです。そして、「論理哲学論考」を難解ながらも取り敢えず読み進めて、完全に私が(そしておそらくは日本中のほぼ全ての読者が)置いていかれた点が、第六条から急に倫理や美についての言及が始まる事なんですね。私は 最近になって、この論理哲学論考の奥底には、どうも「In the beginning was the word」から始まる「世界の始まりを言葉としてと捉える」「言葉こそが神である」という聖書的な信仰心があったのではと思うようになったのです。ですので、「聖書」と「論理哲学論考」をセットにしたわけです。そうして考えてみることでこそ、論考の結論である「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。」という教条の意味がより深く体験できるのではないかと思います。







2019年8月15日木曜日

【歴史本】アマテラスの誕生・銅鐸への挑戦

「アマテラスの誕生」と「銅鐸への挑戦」(溝口睦子と原田大六)

さて、また書評のようなものを書きたいと思います。主題はズバリ、皇祖神「アマテラス」です。今何故、このテーマかといえば、実は恥ずかしながら最近になってやっと原田大六の「銅鐸への挑戦」を読了し、同じく何年か前に読んだ溝口睦子の「アマテラスの誕生」という本について、この両書が一つの「アマテラス」という日本古代史の根本問題に置いて全くの両極端をなしているなと感じたからです。

予め言っておきますと、私は原田大六の「銅鐸への挑戦(全5巻)」をアマゾンで一冊50円程度で5冊買いました。5冊とも第一刷です。非常に悲しい事では有りますが、誰にも省みられなくなって、捨て値で売られている本と言えるでしょう。一方のアマテラスの溝口睦子の「アマテラスの誕生」は、日本人の教養を高めるという崇高な目標を掲げる「岩波新書」に入っており、私の手元のものは数年前に新品で780円で買ったのですが、2009年発行、2014年で第六刷のものです。

原田大六については、私の論考に既にご紹介したとおり、平原王墓の発掘責任者である彼は、平原王墓に現れる文化こそ古墳時代の嚆矢であり、その被葬者こそアマテラスその人に間違いないと確信しました。そうした考古学的事実と日本神話の合致点を基点として、大いに日本神話を語った本、それが「銅鐸への挑戦」です。しかし、考古学的事実から日本神話を検証するというのは、どうもこの国の戦後の学問環境の中では、白眼視されざるを得なかったのでしょう。この本は世間からは完全に黙殺され、すでに忘れ去られたかのようです、そして、そんな事情をこの中古本の価格が如実に示しているように思われます。

対して、溝口睦子の「アマテラスの誕生」は、原田大六が健在なら、その大六節で大いに口撃されたであろう内容です。その論立てといえば、まず記紀は政治的な意図を持った創作物であるので、そこに歴史が反映されているとは考えず、一旦、白紙としてゼロベースにした上(むしろゼロベースどころか、もっと否定的に捉えているように感じますが)で、科学的に検証しようという目論見のようです。それによると、実はアマテラスが国家神とされたのは、そう古い時代ではなく、ヤマト王権では、高木神(タカミムスヒ)こそ、その最初的な国家神で、朝鮮半島の影響を受けて政治的に導入されたとします。その上で壬申の乱の後、天武天皇によってこれまた政治的な何らかの理由から、弥生以来の土着信仰である「オオヒルメ(溝口が意訳すると「日のおばさん」となる)」を皇祖神として人為的・政治的に設定したに過ぎない、とされてます。溝口によると、アマテラスなる語は七世紀末になって初めてつけられたものでしかないとのことです。ここに彼女の、強いては、現代日本のパブリックな学問の場に置いて、記紀を単なる政治的創作物と見做すスタンスが如実に表れています。

「銅鐸への挑戦」が発行された1980年の時点で、原田大六は、その全身全霊を持って、それこそ激烈な文面で「記紀を白紙化する」ような(唯物論的な)歴史観を排撃し、平原王墓の被葬者こそがアマテラスの原型に他ならないと立論しました。それに対して、この国の「科学的歴史」観なるものは、それ以来30年も全く微動だにせず、2009年に溝口睦子の「アマテラスの誕生」が出版されているということです。同書では、アマテラス(オオヒルメ)について語るにも関わらず、その御神体が大きな銅鏡であることにすら触れられていません。天孫降臨において「鏡を見ること我をみるように奉斎せよ」とのアマテラス言い残したことなど、検討するほどの価値もない世迷言に過ぎないと考えているのでしょうか?

それにしても、アマテラスを土着の「日のおばさん」として特段の論拠もなく解釈することに満足して、アマテラスを語るのにその正体とも言える大型銅鏡には全く言及もなく、当然、平原遺跡も、内行花文八葉鏡も、原田大六の著作も全て無かったことにになっている点には、少々呆れてしまいます。善意に解釈して、彼女のスタンスが純然たる文献史学からの検討だと解釈するにも、この岩波新書の高々200ページの本には、考古学的な存在である稲荷山の鉄剣については、触れられてもいるのです。溝口氏が本書を書いた時には平原王墓については再調査も行われ、報告書も出ていたはずですから、知らなかったすれば、不勉強、知っていて取り上げなかったすれば不誠実の謗りは免れ得ないのではないでしょうか。

と、書いているうちに、「アマテラスの誕生」の批判の方に極端に偏ってしまいました。本当は、もう少し冷静に両者を比較して、その解釈や学問的なスタンスの振り幅について感じてもらい、機会があれば両者を比べ読みして頂けるような文章を書きたかったのですが、まぁ現在の心境では、書き直しする程の必要性は感じませんし、原田大六先生に肩入れしてしまうのは仕方ないのかも知れません。実直に言って「銅鐸への挑戦」も余りに独善的・断定的に書かれている点やざっくばらんに過ぎるところはあり、私の考えるところでは全く受け付け不可能な点も多々あるのですが、古代史に向き合うスタンスとしては、私が断然「大六派」なことは言うまでもない訳です。

最後にこの2冊の本の立ち位置を比較しておきますと、記紀を「分からないもの」としてゼロベースで取り組み(その上で後世の創作を念頭に)、その上で読み解いた「アマテラス」と、平原王墓という弥生終末期の墳墓の被葬者こそ、アマテラスに他ならないという定点を発見し、その上で読み解く「記紀」ということになります。


兎も角、少々のお金とお時間のある方は、是非読み比べに挑戦して頂けたらと思います。どちらに同情的に感じながらに読むにせよ、古代史の視野が広がることは間違いないかと思います!