2017年7月23日日曜日

ネフェルティティ【豆知識の保管庫】

 エジプト第18王朝の王妃ネフェルティティ。
 日本の教科書にも載っている胸像像が発見され、美人として有名な彼女ですが、実は彼女は、非常におもしろい。面白いというのは、謎が多いという意味です。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3


 彼女は、一種の宗教改革、太陽神アテン神の一神教を始めようとしたアクエンアテンの妻であり、またもっとも有名なファラオであるツタンカーメンの義母でもある。
 謎というのは、アクエンアテンの次の王、ツタンカーメンの前の王はスメンクカーラー王ということになっているだが、どうもこのスメンクカーラー王が、どうもネフェルティティが王としての即位した際の名前であるらしい仮説があるからだ。
 王家の谷のKV55と呼ばれる墓については、従来、このスメンクカーラー王のものでないかと言われていた。その男性のミイラのわりには、左手のみを胸にあてる格好をしており、当初は女性のもとの思われたほどで、各種の壁画等から女性的な描写が目立つスメンクカーラー王のものではないと推測されていたのだが、2010年のDNA鑑定の結果、このKV55の墓の主こそ、ツタンカーメンの父、アクエンアテン、その人であることが証明されたからである。
 これは言い換えると、KV55は、スメンクカーラー王の墓ではなかったことが分かったのである。これによって、スメンクカーラーがネフェルティティの王としての即位名であるという説が俄かに説得力を増したのである。


 そして英国人考古学者ニコラス・リーブス氏によると、ツタンカーメンの墓 KV62 の壁画の奥に、スメンクカーラー=ネフェルティティの墓が隠されているのでないかとの仮説があるのである。


http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/122200055/


 その壁画(下)は、場面としては、エジプトにて埋葬のために行われるミイラの口開けの儀式の図と言われてる。時代の王が、先代の王が死後の世界にて自身の行いを釈明できるようにそのミイラの口を開けておくそうだ。従来右から2番目の死後埋葬される人物がツタンカーメン、その口をあけようとしている右の人物が次代の王アイと考えられてきたのであるが、実はアイは、アクエンアテンの代からの譜代の老臣というべき人物であり、どうも壁画の右の人物はアイにしては幼さを残した面影であると思われてきた。


 そして、リーブス氏によれば、この図の幼さの残る右の人物そこがツタンカーメンその人であり、左側の人物こそがネフェルティティ=スメンクカーラー王であるというのである。確かにそれぞれの口元の表現は、ネフェルティティの例の胸像や、とツタンカーメンの黄金のマスクの表現と比較してみると、その描写に写実的なに共通項があるように感じられる。言われてみれば、、、というやつである。




実際のことろ、掘ってみないことには、後ろに空間が続いているかどうかは分からない。
ただ、もしリーブス氏の仮説の通りであるならば、21世紀最大の発見は間違いない。
謎が解ける日が来るのが、楽しみである。

 卧 春  (伝陸游作) 【マメ知識の保管庫】

唐突ですが、今回は南宋・陸の作と言われる詩を紹介します。
は、南北に分断された宋王朝を嘆く、憂国的な詩をたくさん作った有名な詩人です。
 
   卧 春  (伝陸遊作)


  暗梅幽闻花    卧枝伤恨底  遥闻卧似水  易透达春绿


  岸似绿   岸似透绿  岸似透黛绿


一見すると、どうも春先の梅林を前に少し感傷的になりながらまどろんでいるような感じの少し陰鬱とした感じの詩なのかなと思ってしまいますが。。。


実は、この詩の面白さは音読したときに初めてわかります。


***


An Mei You Wenhua 俺没有文化   Wo Zhishang Hen Di  我智商很低

Yao Wen Wo Si Shui  要问我是谁  Yi Tou Da Chunlv  一头大蠢驴

An Si lv  俺是驴 An Si Tou Lv  俺是头驴 An Si Tou Dailv  俺是头呆驴


***


これは、現代中国語で読みだすと、最後まで読めないレベルの絶倒ものかと思います。暗 と 俺 の諧音が最高です。「俺」という語感には、農村部のほうの一人称ですね。日本語で言うと「おら」とか「おいら」という感じで語感がぴったりとあっていますね。Shi を Si と発音するところも口語的で面白いです。


***


完全に蛇足ですが、日本語訳は下記の通りです。


おいらには、文化がねぇ、IQもすごい低い。
もし誰かと聞かれたら、おいらは、大バカ者のロバ。
おいらはロバ、おいらはロバ。一頭の大バカ者のロバ。


どうもネット上の笑い話ということで、そもそも陸は、こんな詩作ってないとか。まぁ、いくらなんでもうまく行き過ぎですね。けど、よく考えたものです。


今後も面白いと思ったことを豆知識の保管庫として、ノート代わりにつけておくことにします。

2017年4月23日日曜日

【第十五回】 西アジア遊記 【宮崎市定】

久々の更新は「西アジア遊記」にて。


宮崎市定は、第一回でも取り上げた明治生まれの中国史の大家。
本書は、1936(昭和11)年の市定翁が36歳ごろの旅行の話。
第二次世界大戦勃発前の中東の、若かりし歴史家のルポ。これが面白くないわけがない。


とっても、これは読んだ今となってはの話で、実は市定翁の著作を当り始めて10年。
自分の中の順番は、ずっと一番後まわしになっていたのでした。


「毘沙門天信仰の東漸について」など、西アジア関連の歴史は市定翁の論文の中でも
特に知的冒険心を掻き立てられるものがあったんだけど、本書は旅行記ということで、
みょーに敬遠してしまっていたというというところがあったんですかねぇ。


今となっては、どうしてもっと早く読まなかったか、と後悔すると同時に、
市定翁の著作リストのなかでも面白そうなところは読み切ったと勝手に考えていたので、
読んでいて嬉しいサプライズになりました。


本書のハイライトは下記の通り(笑)。
 ■どっかの世界的な学術会議に形式的出席して、勝手に一人旅に出る。
 ■イラクへの道のりでトラックすし詰めで散々な目に遭う。
 ■カイロで勝手に陶磁器を発掘する。


ほんとに凄い知識、知的好奇心、そして行動力だなぁと感心しきりです。
正直言って、偉大です。