2018年6月3日日曜日

【自著紹介】魏略と伊都国 (コラム)

 コラムとして、「魏略と伊都国」を書きましたので公開いたします。

 「平原一号墓」が女王墓であったという考古学側からの知見に対して、あくまで邪馬台国畿内説を維持しつつ、それが中国側文献に残っている痕跡はないか、という着眼点から考えました。特に魏志の旅程記事解読において、女王国に至る「万二千里」は九州北部まででその大半を消費しているため、従来の単純な畿内説の立場では、どうしても納得的な説明を与えることができず、「万二千里」は単なる文飾として無視する以外ないと感じていましたが、それがこの小論において、随分とスッキリしたのでは思います。これはある意味、旅程記事の解釈の大きな比重において、九州北部説側の説明に合理性を認めたという事でもあります。(もちろん純粋な九州北部説で魏志が全て綺麗に説明されていると認めているわけでありません)

 少々自身を込めて表現するなら、この小論において、共立された女王としての平原墓を文献的にも発見すると同時に、旅程記事の里程の矛盾が解けた、と言うことができるでしょう。「膝に手を打つほどに明快」とまで感じるは人に依るところはあると思いますが、個人的には、なかなかの自信作というところでしょうか。是非ご一読ください。

<直リンク>
https://drive.google.com/open?id=1dyA_GxMcKbnVY36CzIiI0htxzjLDHynf