2018年4月21日土曜日

【自著紹介】10月10日の直線(レイライン)

 少し唐突ですが、「継続としての日本古代史」の参照著作の紹介は一回お休みとさせて頂き、本書を構想するにあたって、日本の地理上にて発見した一つの興味深い直線をご紹介いたします。(この直線の発見は、「継続としての日本古代史」を書くにあたって偶然に発見した、単なる副産物に過ぎません。)

  その直線は、吉備の地、現在の岡山市にある「浦間茶臼山古墳」(この古墳は箸墓の丁度1/2相似形であることがわかっています)と「伊勢神宮(内宮)」を結ぶことで現出します。この直線上には、三輪山、箸墓、応神皇陵や明石海峡の中間点など、不思議なほどに沢山の地形や神社・古墳などが並びます。そして、特にその直線上には、赤盾赤矛・黒盾黒矛を祀ったとされる墨坂神社と大坂山口神社もあり、実在可能性の濃いとされる10代、ハツクニシラス スメラミコト、崇神天皇の事績と非常に関連性が深いものが多いのが特色です。

 如何にも胡散臭いと感じられるでしょうが、これだけの地点を恣意的に私が配置できるわけがありませんし、単なる偶然とするにもあまりに奇妙です。そして、なぜこのような直線が現出するのかを私なりに考えてみたところ、この直線は、その奇妙すぎる一致にもかかわらず、何も厳密な測量などによらずとも、ある特定の日(それは10月10日なのですが)に三輪山の方向から朝日が登る地点を遥拝することによって、現出することがわかったのです。

 論より証拠、「継続としての日本古代史」のちょっとした広告用ポスターを自作して、この「10月10日の直線(レイライン)」を紹介することしましたので、是非一度ご覧ください。

ダウンロードリンク:
    *A3版350dpi
         https://drive.google.com/open?id=1N-HW8yFThaMGdyc5k0rjUHIroS2LKm0Q
    *A1版 350dpi
        https://drive.google.com/open?id=1__WIoqpaH9w556qf7ipBVeeYYcR0CJHf
        (A1版は鮮明ですが、その分すごく重いので、注意ください。)

      地図内の小物は、ヒバナさん、Re:verさんのものを使わせて頂きました。
      お陰様でいい感じになりました。有難うございました。
            ヒバナさん  http://hibana.rgr.jp/
            Re:ver さん   http://nx.myafi.net/

2018年4月15日日曜日

【歴史本】伊都国を掘る【自著紹介】

 さて、「継続しての日本古代史」の参照本の紹介の2冊目は、考古学者・柳田康雄の「伊都国を掘る」です。伊都国を掘るは、その名の通り伊都国にある王墓の発掘に携わった著者の集大成的な著作と言えます。一言で言ってしまうと、弥生時代に九州北部にて発達した王権が、畿内での原始ヤマト王権に繋がっているのではないかという仮説が書かれおります。そして、現在の糸島市における平原遺跡の発掘遺物から推論して、その被葬者は太陽祭祀を主宰した女王であり、彼女こそ魏志に載る邪馬台国の女王・卑弥呼その先代ではないかと推測されています。

 ここで重要な点は、平原王墓で発掘された鏡の状況を見ると、幾何学な文様で太陽の輝きを象徴した「内行花文」の文様を持つ鏡が5枚も発見されているということです。更に注目するべき点はこの5枚の銅鏡は日本最大の大きさであり、尚且つ「説文解字」が示す「八咫」と同じ円周の長さを持っている点です。「継続しての日本古代史」では、この太陽の象徴としての「内行花文鏡」が伊勢における「八咫鏡」への祭祀へと繋がりがあるのではないか、という視点を縦軸として論考を進めています。

  世間では、卑弥呼の鏡といえば「三角縁神獣鏡」であって、「内行花文鏡」の知名度は、よほどのマニアでないとピンと来ないと思います。しかし、魏から拝領した鏡が仮に「三角縁神獣鏡」ような神獣や神仙思想をモチーフにした鏡であったとしても、銅鏡100枚という尋常ならざる枚数を拝領した事実に、倭国側からの事前のリクエストがあったと考えれば、「三角縁神獣鏡」の前、魏との交流前に倭国で尊重された鏡こそ最も重要なものであったと考えることができます。そして事実、魏との交流前の日本で、伊都国の地で、太陽を象徴した銅鏡を依り代にした巫女による太陽祭祀の跡が考古学的な事実として我々の眼前にあるわけです。

  伊都国での太陽祭祀こそ、正に現在の我々が未だに根底に保持している日本的な文化そのものではないか、という命題を「継続として日本古代史」では論証しようとしました。誰も褒めてくれませんで、敢えて自分で書きますと、私はこの点をほぼ完璧に論じ得たと思っています。是非一読して、その出来の如何を判断して頂けましたらと思います。

 次回は、魏志の読みについての文献の紹介として、少し古い本になりますが、三木太郎の「魏志倭人伝の世界」を紹介したいと思います。


2018年4月7日土曜日

【歴史本】古代大和朝廷【自著紹介】

とりあえずは、ご報告として、「継続としての日本古代史」を電子出版することが、出来ました。この場で発表させて頂きます。製本直送さんは、非常にハイクオリティな本に仕上げて頂きましたが、その分コストが高くなってしましたが、こちらは、電子出版のため、印刷経費がすっぽりありませんので、お安くご提供できます。

アマゾンで、「岡上佑」で検索すると出てきます!!
原稿として持っていたワードのフォーマットがそのままアップできるので、拍子抜けするぐらい出版まで早かったです。

さて、当初は自分自身のの整理用だと割り切って、誰に見せるわけでもなく、せっせと書き溜めていたものですが、こうしてせっかく世に送り出した以上は、出来る限り多くの方に興味を持って見て頂けるように著者としては頑張らないと!という風な気持ちになってきました。ま、平たく言ってしまうと広報活動も少しはしないと、、、っていうことですね。そこで、本ブログでは、参照した本や論文を少しづつ紹介していくことにします。そうすることで、直接的なネタバレを回避しつつ、著作の輪郭を示せるかなと。。。

そういうわけで、第一回は、宮崎市定の「古代大和朝廷」です。

なぜこの本かといえば、それはずばり、そもそもが私が邪馬台国の論争に興味を持った契機の本となった本であるからです。宮崎市定のすごいところは、史家としての慧眼、その独自の交通史観から、邪馬台国の所在地をヤマトの地であると看破されている点です。交易路の「日本海ルート」から「瀬戸内海ルートへ」という歴史上の日本の大動脈の変遷と「日本そのもの」の成立を関連づける構想に触れると、日本の古代というなんだかわかったようでわからない存在にまとわりついていた薄靄が、爽快に晴れ行くような気持ちになりました。私の「継続のとしての日本古代史」が立つ出発点は、まさしくこの点にあります。そして更にすごいところは、そうした論証の経緯は必ずしもすべて考古学的な発見から立証したものではない、ということです。歴史家・宮崎市定にとっては、あくまで考古学的な遺物や新たな発見とは、文献資料が織り成す(嫌な表現をあえて用いれば、非科学的なストーリーでしかない)「歴史」の隅に居場所を求めるべき存在なのです。最近は世間では纏向遺跡こそが邪馬台国の大本命であるというような論調ですが、纏向があるから邪馬台国だ、というような科学的で明快な話ではない、全く別のところから、整合的で健全な日本観が出てくるところに宮崎市定のすごみというか、深さを感じるのです。

今回の「継続としての日本古代史」を書くために、いろいろな著作を参照させていただきました。次回は考古学方面から一冊、柳田康雄「伊都国を掘る」紹介させて頂きたいと思います。