2024年1月13日土曜日

季刊・邪馬台国に掲載!

 季刊・邪馬台国 144号に、拙論「史料批判からみる邪馬台国所在地論争への結論」が掲載されました!


史料批判をベースに明快な論理で、邪馬台国論争に結論を出しています。人それぞれ結論は違うのかもしれませんが、切り口は非常に新しいことは確かだとおもます。参考になるところもあると思いますで、是非、一度読んでみてください!





2023年5月7日日曜日

【文献上における卑弥呼死亡時期の確定~通志の倭人伝解釈~】

「邪馬台国新聞・十六号」に遂に掲載されましたので、通志の新発見についての記事について、ブログの方でも掲載させて頂きます。


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   さて、邪馬台国新聞の1号にて魏志倭伝における「卑弥呼以死」については、「以って死す」ではなく、「以」と「已」の両文字は、三国志では通用して用いられていることから、その実例を紹介しつつ「卑弥呼已死(卑弥呼すでに死んでいた)」と読むべきことを論証した。加えて、張政が到着時に卑弥呼がすでに亡くなっていたと考えることで、正始八年の記事全体における係り結びの関係を把握することが出来、当時の状況が魏志倭自伝に活写されていることを指摘し、更には正始年間に記述が終わる陳寿の魏志執筆態度にまで言及した。

 

今回、この「以=已」を通用させての読みに、かなり有力な文献的証拠を発見したので、甚だ簡略ながら報告することとする。それは、南宋にて出版された「通志(鄭樵著)」の「四夷伝・倭(194巻)」である。ここでは、魏志などを参照したと思われる倭国についての長文の記事があるが、ここで通行本魏志において「卑弥呼以死」とある同一箇所に「卑弥呼已死」と書かれているのである。

 

「通志・四夷伝・倭」については、後漢書・陳寿魏志・御覧魏志・宋書・隋書など様々な史書のダイジェスト的な内容で新内容に乏しく、従来邪馬台国論争においては、ほとんど言及されることもなかったのであるが、我々が目にする「通行本魏志」が完成したのとほぼ同時期の南宋の書物にて「以=已」の通用にて魏志を解釈していたことが判明した。万人が同意せざるを得ない客観的な証拠をもって、論考の正しさが証明された結果と言えよう。

 

百花繚乱の邪馬台国論争の中では「『卑弥呼もって死すという訓読からは、卑弥呼の死亡時期が確定しないとして、張政の倭国長期滞在説やキングメーカー説など想像富む様々な仮説が提示されたが、今回の通志の発見によって、文献史学としては、内藤湖南以来のもっとも平凡な読みである「卑弥呼247年以前死亡説」にてほぼ固まったと考えてよいだろう。

 

またあくまで関連情報としてで、蛇足ではあるが、改めて魏志倭人伝を通読してみると、もっとも史料的価値が高い詔書引用文の中にも「以到」の表現がある。これなども状況をよく考えてみれば、卑弥呼が用意した朝貢の品が、すでに洛陽に到着したことを詔書の冒頭にて述べているのであり、実質的には「もって到る」ではなく「すでに到った」と発生した事実への言及であることは自明であり、これ以外にはこの一文の解釈の可能性はないから、結局はここでも実態としては「已到」と通用させて読む以外にないということになる。


★参考リンク:浙江大学オンライン図書館   「通志・194巻」

https://archive.org/details/06059276.cn 


    ★参考図:「通志四夷伝・倭(194巻)の該当部分




2023年5月2日火曜日

【 正始八年と以死(邪馬台国新聞十四号 寄稿論文)】

邪馬台国新聞十六号にまた寄稿しましたので、前回寄稿文をブログの方にアップさせて頂きます。今回はこの続き、しかも「決定打」の報告です。最新号がでれば、こちらでもアップします。

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 正始八年と以死(邪馬台国新聞十四号 寄稿論文)

さて、魏志倭人伝の純然たる読みの中で、定かにならないのは、何も邪馬台国の所在位置だけと言うわけでない。本小論では、「正始八年から始まる一連の張政による見聞録」をどう読み解くかについて、私なりの論証を加えることにしたい。

 

魏志倭人伝中、「其八年」から始まる記事の中には、倭国の救援要請、張政の派遣、卑弥呼の死とその後継をめぐる混乱、台与の擁立、張政による檄の読み上げによる告諭、張政の帰還と台与の遣使、と沢山の出来事が記述されている。そこで、一連の記事には、正始八年以降の事績も紛れているのではないかという考え方が出てくる。更に人によっては、この時に張政は正始八年を大きく超えて、軍事顧問として長く倭国に滞在したと考えることまである。しかし、私は、張政が倭国に到着した時の表現「卑弥呼以死」は、「卑弥呼はすでに死んでいた」と読むのが適当であり、一連の記事は、やはり正始八年からの一連の事件であったと読むのが適当であると考えている。

 

どうして「すでに死んでいた」と読むのかと言えば、それは、「以」と「已」は発音としても同じで、文字の成り立ちからしても同根であり、三国志各所で通用していることが挙げられるからである。実際に三国志本文を紐解いてみても、次に挙げるように「已→以」の通用例が複数見つかる。また、トルファンから見つかった古本三国志に、新たな通用例を見つけたので、両者通用の具体例として紹介したい。

 

傅嘏伝:今権死託孤於諸葛恪

「今、孫権は已に死に、その末子(孫亮)を諸葛恪に託した。」

臧洪伝:城中糧穀盡,外無彊救

「城中の糧穀は已に尽き、外には彊救はない。」

杜襲伝:吾計定,卿勿復言。

「私が計は已に定る、卿、復言することなかれ」

陸績伝:従今去 (*通行本三国志には、「従今已去」とある箇所

 

なお「以→已」への通用例(已来と以来など)は、正史三国志で余りに頻繁なので、例示は割愛したい。兎に角、「以と已」は、普通に相互通用して使われており、倭人伝に限って通用させないと言うようなことは非合理である。

 

そこで、其八年の記事を「すでに」の意味で読んでみると、非常に鮮明な像が結ばれてくることがわかる。すなわち、正始八年、帯方郡太守の王頎は、檄を作って(為檄)張政に持たせ、倭国へと「」わして、(張政が到着した時には、倭国王は已に死んでいたが、その後に新女王が擁立されて)張政は、王頎から託された檄を以って(以檄)、新しい倭国王に告諭して、最後に新倭国王に「送」られたのである。

 

このように「すでに」の意味を読み取ることで、張政を巡る「遣〜送」の関係、加えて帯方郡太守の檄についての「為檄〜以檄」の関係という「係結び」の効いた締まりのある文章が復元してくる。つまり「已に死んでいた」と読むことで、正始八年で始まる記事は、時間的にも一連の記事であることが判明するのである。

 

以上は、文法・語法的な解釈論であるが、もう少し別の角度からも客観的にこの読みを証拠立てるのが、宋代に成立した類書、「冊府元亀(巻九六八・外臣部)」にある壹與朝貢の記事である。そこには、正史八年の出来事として、女王壹與が朝貢してきたと記録されているのである。これは、冊府元亀の編纂者が上述の私と同じような解釈を行っていたという証拠であろう。

 

  さて、ここまでの論考が正しいものだとすると、我々は魏志倭人伝という史料について、重大な性質に迫ることができる。それは、魏志倭人伝が、正始八年(247年)という極めて中途半端な時系列の記述で、尻切れトンボのように終わっていると言うことだ。これは、陳寿が魏志倭人伝を執筆する際にどのような態度で挑んだかということを示すもので、実際には、晋書・四夷伝に

 

「及文帝作相、又数至」(司馬昭が宰相になるに及んで、また数回朝貢に至った)

 

とあるとおり、曹魏においても、正始八年(247年)以降も倭国からの朝貢は行われていた。すなわち、陳寿は、魏志倭人伝を記すにあたって、正始八年(247年)以降の朝貢記事を補録することを怠ったと言う事である。念のため、魏志に残る東夷伝全体を見回してみても、「正始」の年で始まる文章が目に付くが、それ以降の記事は一つして存在しない。ここから言えることは、陳寿は魏略や魏書という先行史書を引き写して現行の魏志倭人伝を編纂したに相違ないが、わざわざ自ら最新資料を集めて、正始年間以降、禅譲のあった265年、曹魏最後の皇帝である元帝期までを補うような労を取らなかったと言うことである。

 

  では、陳寿が東夷伝を編纂していた時に見ていた資料が、ほぼそのままに現行の東夷伝そのものであったとして、現行の東夷伝の文章から、その正体を示唆するような文章はないだろうか? 実はそれがあるのである。紙幅の関係から簡単に指摘するにとどめるが、それは、東夷伝・高句麗条である。魏志東夷伝に現れる「今」の表現に注目することで、東夷伝のベース部分の執筆の時期が透けて見えるのである。

 

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 本論は、岡上佑「魏書倭人伝の探究」の内容を焦点を絞ってリライトしたものです。署名で検索して頂ければ、アマゾンの電子書籍にて全文を読むこともできます。また、同書の製本版もございます。詳しくは、 yu.okagami@gmail.com まで。

 

2022年11月23日水曜日

YOUTUBEチャンネルも開始

 「魏書倭人伝の究明」の発表に合わせて、ユーチューブチャンネル「岡上佑の古代史研究室」の運営も始めました。

https://youtu.be/2DfFMtD10lY

また、それに合わせて、「魏書倭人伝の探究」についても、本論部分を無償公開しました。

リンク切れになる前にどうぞ♪


<魏書倭人伝の探究 無償公開版>new!

 https://drive.google.com/file/d/1yqU7Zhz2hwJZJJBMkKDBqOYrEdKjbPzP/view?usp=drivesdk


まぁ、「素人古代史論なんて、取るべきものは少ない」という固定概念というのが、誰しもありますから、そのハードルを如何に超えて貰うか、今の私にとっては、古代史以上の難問ですね(笑)



【新作】魏書倭人伝の究明

新作、「魏書倭人伝の究明」を発表しましたので、

遅まきながらブログでも報告。

↓ webshop で購入できます。

https://roomofwisdom.thebase.in/items/67562678


↓試し読みはこちら

https://drive.google.com/file/d/1mD8hTxo3sv8euap21faFVVy2T7wp3F12/view?usp=drivesdk


知的好奇心の強い、勇気のある方、是非挑戦してください。

絶対損はしないです。







2022年6月5日日曜日

三国時代の南京

 webにて連載中の「三国志〜終焉の序曲〜」の地図です。

結構、三国時代の地形そのままに残っているのがすごいです!


<小説のリンクはこちら!>
https://www.alphapolis.co.jp/novel/917191466/725627423