2023年5月7日日曜日

【文献上における卑弥呼死亡時期の確定~通志の倭人伝解釈~】

「邪馬台国新聞・十六号」に遂に掲載されましたので、通志の新発見についての記事について、ブログの方でも掲載させて頂きます。


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   さて、邪馬台国新聞の1号にて魏志倭伝における「卑弥呼以死」については、「以って死す」ではなく、「以」と「已」の両文字は、三国志では通用して用いられていることから、その実例を紹介しつつ「卑弥呼已死(卑弥呼すでに死んでいた)」と読むべきことを論証した。加えて、張政が到着時に卑弥呼がすでに亡くなっていたと考えることで、正始八年の記事全体における係り結びの関係を把握することが出来、当時の状況が魏志倭自伝に活写されていることを指摘し、更には正始年間に記述が終わる陳寿の魏志執筆態度にまで言及した。

 

今回、この「以=已」を通用させての読みに、かなり有力な文献的証拠を発見したので、甚だ簡略ながら報告することとする。それは、南宋にて出版された「通志(鄭樵著)」の「四夷伝・倭(194巻)」である。ここでは、魏志などを参照したと思われる倭国についての長文の記事があるが、ここで通行本魏志において「卑弥呼以死」とある同一箇所に「卑弥呼已死」と書かれているのである。

 

「通志・四夷伝・倭」については、後漢書・陳寿魏志・御覧魏志・宋書・隋書など様々な史書のダイジェスト的な内容で新内容に乏しく、従来邪馬台国論争においては、ほとんど言及されることもなかったのであるが、我々が目にする「通行本魏志」が完成したのとほぼ同時期の南宋の書物にて「以=已」の通用にて魏志を解釈していたことが判明した。万人が同意せざるを得ない客観的な証拠をもって、論考の正しさが証明された結果と言えよう。

 

百花繚乱の邪馬台国論争の中では「『卑弥呼もって死すという訓読からは、卑弥呼の死亡時期が確定しないとして、張政の倭国長期滞在説やキングメーカー説など想像富む様々な仮説が提示されたが、今回の通志の発見によって、文献史学としては、内藤湖南以来のもっとも平凡な読みである「卑弥呼247年以前死亡説」にてほぼ固まったと考えてよいだろう。

 

またあくまで関連情報としてで、蛇足ではあるが、改めて魏志倭人伝を通読してみると、もっとも史料的価値が高い詔書引用文の中にも「以到」の表現がある。これなども状況をよく考えてみれば、卑弥呼が用意した朝貢の品が、すでに洛陽に到着したことを詔書の冒頭にて述べているのであり、実質的には「もって到る」ではなく「すでに到った」と発生した事実への言及であることは自明であり、これ以外にはこの一文の解釈の可能性はないから、結局はここでも実態としては「已到」と通用させて読む以外にないということになる。


★参考リンク:浙江大学オンライン図書館   「通志・194巻」

https://archive.org/details/06059276.cn 


    ★参考図:「通志四夷伝・倭(194巻)の該当部分




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