2018年4月7日土曜日

【歴史本】古代大和朝廷【自著紹介】

とりあえずは、ご報告として、「継続としての日本古代史」を電子出版することが、出来ました。この場で発表させて頂きます。製本直送さんは、非常にハイクオリティな本に仕上げて頂きましたが、その分コストが高くなってしましたが、こちらは、電子出版のため、印刷経費がすっぽりありませんので、お安くご提供できます。

アマゾンで、「岡上佑」で検索すると出てきます!!
原稿として持っていたワードのフォーマットがそのままアップできるので、拍子抜けするぐらい出版まで早かったです。

さて、当初は自分自身のの整理用だと割り切って、誰に見せるわけでもなく、せっせと書き溜めていたものですが、こうしてせっかく世に送り出した以上は、出来る限り多くの方に興味を持って見て頂けるように著者としては頑張らないと!という風な気持ちになってきました。ま、平たく言ってしまうと広報活動も少しはしないと、、、っていうことですね。そこで、本ブログでは、参照した本や論文を少しづつ紹介していくことにします。そうすることで、直接的なネタバレを回避しつつ、著作の輪郭を示せるかなと。。。

そういうわけで、第一回は、宮崎市定の「古代大和朝廷」です。

なぜこの本かといえば、それはずばり、そもそもが私が邪馬台国の論争に興味を持った契機の本となった本であるからです。宮崎市定のすごいところは、史家としての慧眼、その独自の交通史観から、邪馬台国の所在地をヤマトの地であると看破されている点です。交易路の「日本海ルート」から「瀬戸内海ルートへ」という歴史上の日本の大動脈の変遷と「日本そのもの」の成立を関連づける構想に触れると、日本の古代というなんだかわかったようでわからない存在にまとわりついていた薄靄が、爽快に晴れ行くような気持ちになりました。私の「継続のとしての日本古代史」が立つ出発点は、まさしくこの点にあります。そして更にすごいところは、そうした論証の経緯は必ずしもすべて考古学的な発見から立証したものではない、ということです。歴史家・宮崎市定にとっては、あくまで考古学的な遺物や新たな発見とは、文献資料が織り成す(嫌な表現をあえて用いれば、非科学的なストーリーでしかない)「歴史」の隅に居場所を求めるべき存在なのです。最近は世間では纏向遺跡こそが邪馬台国の大本命であるというような論調ですが、纏向があるから邪馬台国だ、というような科学的で明快な話ではない、全く別のところから、整合的で健全な日本観が出てくるところに宮崎市定のすごみというか、深さを感じるのです。

今回の「継続としての日本古代史」を書くために、いろいろな著作を参照させていただきました。次回は考古学方面から一冊、柳田康雄「伊都国を掘る」紹介させて頂きたいと思います。


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