2019年8月15日木曜日

【歴史本】アマテラスの誕生・銅鐸への挑戦

「アマテラスの誕生」と「銅鐸への挑戦」(溝口睦子と原田大六)

さて、また書評のようなものを書きたいと思います。主題はズバリ、皇祖神「アマテラス」です。今何故、このテーマかといえば、実は恥ずかしながら最近になってやっと原田大六の「銅鐸への挑戦」を読了し、同じく何年か前に読んだ溝口睦子の「アマテラスの誕生」という本について、この両書が一つの「アマテラス」という日本古代史の根本問題に置いて全くの両極端をなしているなと感じたからです。

予め言っておきますと、私は原田大六の「銅鐸への挑戦(全5巻)」をアマゾンで一冊50円程度で5冊買いました。5冊とも第一刷です。非常に悲しい事では有りますが、誰にも省みられなくなって、捨て値で売られている本と言えるでしょう。一方のアマテラスの溝口睦子の「アマテラスの誕生」は、日本人の教養を高めるという崇高な目標を掲げる「岩波新書」に入っており、私の手元のものは数年前に新品で780円で買ったのですが、2009年発行、2014年で第六刷のものです。

原田大六については、私の論考に既にご紹介したとおり、平原王墓の発掘責任者である彼は、平原王墓に現れる文化こそ古墳時代の嚆矢であり、その被葬者こそアマテラスその人に間違いないと確信しました。そうした考古学的事実と日本神話の合致点を基点として、大いに日本神話を語った本、それが「銅鐸への挑戦」です。しかし、考古学的事実から日本神話を検証するというのは、どうもこの国の戦後の学問環境の中では、白眼視されざるを得なかったのでしょう。この本は世間からは完全に黙殺され、すでに忘れ去られたかのようです、そして、そんな事情をこの中古本の価格が如実に示しているように思われます。

対して、溝口睦子の「アマテラスの誕生」は、原田大六が健在なら、その大六節で大いに口撃されたであろう内容です。その論立てといえば、まず記紀は政治的な意図を持った創作物であるので、そこに歴史が反映されているとは考えず、一旦、白紙としてゼロベースにした上(むしろゼロベースどころか、もっと否定的に捉えているように感じますが)で、科学的に検証しようという目論見のようです。それによると、実はアマテラスが国家神とされたのは、そう古い時代ではなく、ヤマト王権では、高木神(タカミムスヒ)こそ、その最初的な国家神で、朝鮮半島の影響を受けて政治的に導入されたとします。その上で壬申の乱の後、天武天皇によってこれまた政治的な何らかの理由から、弥生以来の土着信仰である「オオヒルメ(溝口が意訳すると「日のおばさん」となる)」を皇祖神として人為的・政治的に設定したに過ぎない、とされてます。溝口によると、アマテラスなる語は七世紀末になって初めてつけられたものでしかないとのことです。ここに彼女の、強いては、現代日本のパブリックな学問の場に置いて、記紀を単なる政治的創作物と見做すスタンスが如実に表れています。

「銅鐸への挑戦」が発行された1980年の時点で、原田大六は、その全身全霊を持って、それこそ激烈な文面で「記紀を白紙化する」ような(唯物論的な)歴史観を排撃し、平原王墓の被葬者こそがアマテラスの原型に他ならないと立論しました。それに対して、この国の「科学的歴史」観なるものは、それ以来30年も全く微動だにせず、2009年に溝口睦子の「アマテラスの誕生」が出版されているということです。同書では、アマテラス(オオヒルメ)について語るにも関わらず、その御神体が大きな銅鏡であることにすら触れられていません。天孫降臨において「鏡を見ること我をみるように奉斎せよ」とのアマテラス言い残したことなど、検討するほどの価値もない世迷言に過ぎないと考えているのでしょうか?

それにしても、アマテラスを土着の「日のおばさん」として特段の論拠もなく解釈することに満足して、アマテラスを語るのにその正体とも言える大型銅鏡には全く言及もなく、当然、平原遺跡も、内行花文八葉鏡も、原田大六の著作も全て無かったことにになっている点には、少々呆れてしまいます。善意に解釈して、彼女のスタンスが純然たる文献史学からの検討だと解釈するにも、この岩波新書の高々200ページの本には、考古学的な存在である稲荷山の鉄剣については、触れられてもいるのです。溝口氏が本書を書いた時には平原王墓については再調査も行われ、報告書も出ていたはずですから、知らなかったすれば、不勉強、知っていて取り上げなかったすれば不誠実の謗りは免れ得ないのではないでしょうか。

と、書いているうちに、「アマテラスの誕生」の批判の方に極端に偏ってしまいました。本当は、もう少し冷静に両者を比較して、その解釈や学問的なスタンスの振り幅について感じてもらい、機会があれば両者を比べ読みして頂けるような文章を書きたかったのですが、まぁ現在の心境では、書き直しする程の必要性は感じませんし、原田大六先生に肩入れしてしまうのは仕方ないのかも知れません。実直に言って「銅鐸への挑戦」も余りに独善的・断定的に書かれている点やざっくばらんに過ぎるところはあり、私の考えるところでは全く受け付け不可能な点も多々あるのですが、古代史に向き合うスタンスとしては、私が断然「大六派」なことは言うまでもない訳です。

最後にこの2冊の本の立ち位置を比較しておきますと、記紀を「分からないもの」としてゼロベースで取り組み(その上で後世の創作を念頭に)、その上で読み解いた「アマテラス」と、平原王墓という弥生終末期の墳墓の被葬者こそ、アマテラスに他ならないという定点を発見し、その上で読み解く「記紀」ということになります。


兎も角、少々のお金とお時間のある方は、是非読み比べに挑戦して頂けたらと思います。どちらに同情的に感じながらに読むにせよ、古代史の視野が広がることは間違いないかと思います!

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