2019年7月31日水曜日

【歴史本】漢帝国 ー400年の興亡

漢帝国

  渡邉義浩氏の著作を読んでみたところ、やっぱり違和感があったので、まとめてます。尚、かなりの批判になりそうのなので、また岡上が勝手なことを言っていると笑って読める方のみ読み進めてくださればと思います。

  ここで異議申し立てしたいのは、本書の中心テーマである「儒教の国教化」についてです。本書では、「『儒教の国教化』が分析概念である以上、自分なりの指標を仮説として掲げ、それを実証していく以外ない」として、通説の武帝期ではなく、後漢の白虎観会議こそが「儒教の国教化」の一つの画期であるとしています。が、これはどうなんでしょう? ここで二点の大きな見逃しがあるように思います。

  まず第一点は、本人も書かれている通り、儒教の国教化には、時間的な浸潤の過程があるということです。そした中で、渡辺氏はその完成の時点である「白虎観会議」が大きな画期であるというのですが、それはどうなんでしょう? こうした場合、変化の起点となる時点のほうが画期としてはより適切におもいます。具体的には漢初の黄老思想を経て、法家的志向を老荘思想でなく、儒学で飾るようになった武帝期がその変化の画期として相応しいのではないかと思います。一般に「**の**化」といった場合には、法的に時点が定まるような事象(例えば「高校教育の無償化」など)は別にして、それが一定の時間幅を持つ世界史的な事象(例えば「産業の近代化」など)の場合は、はやりその頂点ではなく起点にその画期を求めるべきだと思います。渡辺氏が重視する「今文」と「古文」の間の儒学の解釈の調整をおこなった白虎観会議にしても、皇帝が儒学に肩入れして、その解釈を公的に決定する事態になっているということ自体、すでに儒学が漢朝にとって最大限重視するべき対象であったことを物語っています。つまり、白虎観会議を経て儒学が官学になったのではなく、白虎観会議が必要なほど、その当時はすでに儒学が漢にとって重要な位置を占めていたということです。

  そして大きな見逃しの第二点は、氏は平気で「儒教の国教化」と言っていますが、それは「イスラム教の国教化」や「キリスト教の国教化」と同じような意味では決してないということです。つまり、儒教は、中国流の人生哲学、もっと卑近に言えば処世術と言うべきのもので、宗教が宗教たる所以、形而上の存在、つまり神については極めて冷淡で、「怪力乱神を語らず」という有名なフレーズが象徴するように、そもそも儒学は宗教ではないと言うことです。つまり儒教というものの性質を鑑みた場合、具体的には「儒学の官学化」について考えるほうがよりふさわしいと言うことです。そしてこの「儒学の官学化」を考える場合、氏が分析するように「五経博士」揃ってのの設置が、たとえ武帝期になかったとしても、その時には、五経のうち「詩・書・春秋」の三経にはそれぞれ博士が置かれ、その後の儒学一強の潮流が決定したのですから、やはり、武帝期のその時点こそ「儒学の官学化」という画期があったと考えることが、最も相応しいと思います。

  さて、こうしてみると、氏が主張する、班固が書くところの「五経博士」の設置は信用ならないとした上で「武帝期は儒教の国教化の画期ではなかった」とする科学的な分析による主張というのが、どうもおかしな偏向があるように感じて已みませせん。ここには、班固の後漢書に、武帝時代についての後世からの投影・理想化があり、それは「儒教物語」に過ぎないとして、科学的な歴史の範疇から排除しようという目論見がここにはあるのではないでしょうか?別コラムからの繰り返しにはなりますが、私にとっては歴史の中にある「物語性」とは、そもそも歴史自体とそもそも分離不可能なもので、どうもこういう無機質な感じもある「科学的な歴史」というのは、逆に胡散臭いものを感じます。

  では、私なりに新たな「儒教物語」を考えてみた場合、渡辺氏がその完成を見る「白虎観会議」はいかなる意味をもつのでしょうか?私はここに歴史的な儒教の隆盛の頂点、秦漢帝国の古代史的発展の頂点を見たいと思います。そしてそれが頂点であるということにおいては、その裏の意味として、その地点よりの発展がなかったということでもあり、「白虎観会議」とは、儒教的な古代史的発展が挫折した地点でもあったと見るということです。実際、本書で指摘されるように、「白虎観会議」では、王権に服属しなくとも良い「不臣」なるものの一つに皇后の両親、つまり外戚を挙げてしまっています。そうしてこれ以降、後漢では、朝廷に巣食う外戚の跋扈を排除するべき大義を失うこととなり、「不臣」であることが許される外戚と皇帝権力の延長としての宦官が交互に覇権を握る泥沼の争いに落ち込み、遂には中世的な暗黒の分裂時代に突入していくことになるのです。


そうした意味では、西洋における暗黒の中世への転落の起点であるローマ帝国による「キリスト教の国教化」と比肩するべき事態として、後漢の「白虎観会議」を対置してみるのも面白いのではと思います。本書では語られなかった西洋史との比較というこの地平においてこそ、「白虎観会議」に「儒教の国教化」という画期を見る世界史的意義が立ち現れてくるのではないでしょうか。それは、後世の漢民族からみた儒教的発展の頂点であるが故に、儒教的なノスタルジーの対象であり、かつ、儒教の古代史的発展の頂点であるが故に、それ蹉跌した地点でもあるのだと思います。


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