2021年1月19日火曜日

5ch テンプレ反論③

 前回の反論ですが、どうもまだFAQの推論を誤りを完全には指摘出来ていない気がするので、FAQがどこで間違ったか、一歩一歩踏み外した地点を確認していきたいとおもいます


◆FAQ 65


 『禮記』王制には 

 「古者、以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩、 

  古者百畝、當今東田百四十六畝三十歩、 

  古者百里、當今百二十一里六十歩四尺二寸二分」 


とあり、周尺のうちでも新古乃至大小の二種の存在が窺知される。 


 ここで、百二十一里六十歩四尺二寸二分=218,164.22尺であるので 

これを古者周尺の百里(2,400尺)で割り戻すと1.10009今周尺=1秦漢尺が得られ、「今以周尺六尺四寸為歩」が「六尺六寸」の誤りであることが判明する。 

この錯誤の原因は篆文の「四」と「六」の字形が類似していることに求めるのが伝統的解釈(孔広森:清朝)であり、出典の淵源の古さを暗示している。 


 この比率(今周尺=秦漢尺9寸)は、礼楽の主音「宮」の周波数に相当する黄鐘律管(長9寸)が秦漢度量衡の基礎――黄鐘律管が容積・重量の基準――になっていることとの符合を鑑みると、興味深い。 秦漢尺が長く安定的であった主因が、礼楽調律との関係で理解できるからである。さらに王莽以降秦漢尺が崩れ始めることとも整合性がある。 


—————————-以下反論


『禮記』王制には 

 「古者、以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩() 

 とあり、周尺のうちでも新古乃至大小の二種の存在が窺知される。 


 王制は、「古くは、周尺で八尺を一歩、今は周尺尺六尺四寸で一歩」というのであるから、実は、ここでは二通りの事態が考えらる。一つはテンプレの言う通り、周尺自体に古今もしくは大小の二種類があるという考え方で、その場合のこの文の解釈としては、「歩」自体の長さは一定となる(この考えをAとする)。そして、もう一つの考え方は、「周尺」自体の長さは一定で、「歩」の長さが、二種類があるのではという考え方(Bとする)だ。


  またこの文でいう「今」というのも実は厄介な問題で、この執筆時点の時制を王制が完成した前漢として問題はないのか、という点も見逃せない。テンプレでは、これは執筆時点の時制と考えているようで、歩の長さは今周尺で考えて六尺六寸であると考えだ。

  (今周尺 2.1 x 6.6 = 138 cm / 秦漢尺 2.3 x 6 = 138 cm


ここで、百二十一里六十歩四尺二寸二分=218,164.22尺であるので 

 ここでもテンプレでは「當今」を前漢代と考えて、一里=300歩、一歩=6尺にて計算している。時制をどう考えるかの当否は別にして、一つの考え方として、とりあえず次を見ると、、、


これを古者周尺の百里(2,400尺)で割り戻すと1.10009今周尺=1秦漢尺が得られ,「今以周尺六尺四寸為歩」が「六尺六寸」の誤りであることが判明する。 


 ここでテンプレでは、なぜか突然、今周尺について1.10009倍云々と断定する。古者周尺の百里(2,400尺)と1秦漢尺を比較すると約1.1の比率が出るのは分かるが、なぜその両者によって急に今周尺に関する情報が得られるか?これは、前段Aの考え方によって古者周尺が分かれば、自動的に今周尺もわかるということなのだろうか?、ただ、その場合でも計算して見てればわかるが、今周尺のほうが古者周尺より大きいため、今周尺=秦漢尺9寸という比率には全然ならない。


 どうもここで調べてみると、どうもテンプレでは、この計算の段なって、急に上記(B)の考え方を採用して、周尺の長さを一定として、歩の長さを変更する考え方に依拠しているようだ。(どうも論証と実際の計算がアベコベで紛らわしくて困る)


 分かりにくいところであるが、ここまでのことを纏めると、テンプレの王制の「古者、以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩」の解釈は以下の通りになる。


 「古くは、周尺(21cm)で八尺(168cm)を一歩、今は周尺、六尺六寸(138cm = 21 x 6.6)で一歩である」


 ここまで整理すれば、前回私が指摘した話がはっきりわかると思う。つまり、21cmの周尺で六尺六寸ということは、一歩を138cmである考えたということであるから、これは、漢代の一歩と全く同じ実長になる。つまり、この考え方では始皇帝26年にての一歩を六尺と再定義したことを読み込みすることが不可能となるのである。敢えて無理に辻褄を合せようとすると、始皇帝26年の度量衡の統一にて、歩の実長ではなく、尺の実長を変えたと解釈することぐらいであろうが、これは考古学的な事実が許さないのである。


  周代 一歩=六尺六寸 実長138cm21cm x 6.6) 

       漢代 一歩=六尺   実長138cm23cmx6)  


これで、テンプレの試算が単なる机上の計算で全く意味のないことはかなり丁寧に説明できたと思う。


■この錯誤の原因は(以下略)


 →この文の以下については、単に誤った前提に基づく推論に過ぎないので検討の価値はない。割愛しても良いだろう。


 更に少し長くなるが、わざわざ3回に分けるほどでもないので、テンプレの間違いを指摘するだけではなく、この王制の記述を私なりにどう考えるのか追加で説明したい。


ヒントは、「古者、以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩」という一文の時制である。実はここの文というは、王制は漢代の編纂ではあるものの、禮記自体、孔子の時代の書物とされているのであるから、時制を孔子の時代(以下東周と呼称)に置くのが正しい読みなのではないだろうか。どうも王制の本文というのは、「周尺」の解説がわざとらしく感じられ、これは原文に漢代の編纂時に語句の挿入があったのではないだろうか。つまりどういうことかというと、

「古者以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩」 という本文は、実際には

「古者以八尺為歩、今以六尺四寸為歩」    と本来的に東周時代に書かれていたということである。


 実際、わかっているところで遅くとも東周後期の戦国時代あたりから、一寸の長さは漢代までほぼ一定であるから、それを代入すると、「古者以八尺為歩(147 cm =18.5cm x 8)、今以六尺四寸為歩(147cm = 23cmx6.4) 」となる。これは、孔子の時代から見て、その昔(西周時代)では、所謂、周小尺が主に使われていたが故に一歩は八尺であり、それが東周に至って周大尺が広く通用するようになり、一歩が六尺四寸と考えられるようになった消息を表しているのだろう。147cmというのは身体尺の「一歩の長さ」として平均的なところだとも思う。


 こうして考えると、始皇帝26年の「歩」に関する度量衡改正の意味もはっきりしてくる。つまりその時には、一歩の実長は、従来の自然発生した身体尺としての六尺四寸(147cm = 23cmx6.4)から、六尺(138cm= 23cm x 6)へと短くされたということである。こうすると綺麗に全て説明がつくというわけである。


 では、なぜ始皇帝26年に「歩」の実長を短くしたのかといえば、それは勿論の秦の水徳を表す六に合わせたのであるが、より現実的には、一歩を短くすることで、同じ大きさの田畑でも計算上大きな面積に計算できるので、その分税収が増える徴税強化という実利に繋がる点が隠された意図としてあったのだろう。


 最後に「古者百里、當今百二十一里六十歩四尺二寸二分」であるが、これは、テンプレの計算通り、時制を前漢代において、218,164.22尺と考えても別に良いだろう。ただし、これは前漢当時に観念的に考えられていた周代の一里の長さを表すだけであるし、ここから逆算にて歩や尺という単位を推算してもほとんど意味がない。まずは周代の一里の実長を実証し、王制のこの一文の正誤を確認することが先だろう。

 

 以上、予想以上の分量になった。流石にこの件はこれで十分だろうと思う。

 私の仮説自体に興味のある方は、思う存分「八寸と八咫」という小論を書いているので、調べてみて欲しい。

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