2019年1月30日水曜日

延羽の湯の悪魔性に就て

  今日は、羽曳野市にある延羽の湯本店が如何にして小市民の満足感を充足させつつ、消費を促進し、或いは浪費を誘っているかの実態を紹介し、経営主体であるの延口グループ(仮称)のやり口を白日の下に明らかにしたいと思います。

  まず、第一に指摘しないといけない点は、それが天然温泉であるとこと謳っている点だ。もちろん、天然温泉であることは、大いに魅力ではあるが、それを殊更に宣伝されてしまっては、これでは、アクセスもそう悪くはないことだし、温泉好きは一度は行かざるを得ない。その次に注意するべきは、入館時には岩盤風呂(薬石サウナ)を一緒に入るかどうか、決めなければならず、金額も千五百円程度なので、取り敢えず岩盤風呂も一緒に払っrておくか、と思わせる点だ。狡猾なのは、現金の支払いはあくまで一番最後で、入館時には、バーコード付きのパスのようなものがついたバンドを貰うだけという点だ。館内の消費はこれ以後、このバーコードを読ますだけでOKということだ。これでは、購入時の負担感がなく、気持ちよくいろいろ使わざるを得ない。

 さらに狡猾なのが、岩盤風呂を申し込むと館内の着替え(浴衣)が一回は無償で取り返ててもらえること。これによって、「入浴ー着替えー岩盤浴ー着替えー食事」 という一連のコンボが気持ちよく行えてしまう。また、館内には、岩盤浴上がりには、冷えたトマトやキュウリなど、健康に気を使いつつ美味しく水分を摂る方法が用意されている。これも汗をひとしきり流して、喉が渇いている状態にある以上、目に入ったら頼まざるを得ない。極めて狡猾だ。

  また、入浴や岩盤浴が終われば、無料で漫画喫茶のようにかなりの種類の漫画が読み放題だ。こうなると、上述の「入浴ー着替えー岩盤浴ー着替えー食事」のコンボの合間に漫画を読んだりすることで、滞在時間はどうしても長くなり、その分各種消費も増えざるを得ない。特に、風呂上がり、サウナ上がりのお食事どころのビールセットの破壊力は強烈で、千円程度で生ビール、枝豆、唐揚げの3品が頼めてしまう。これでは、風呂上がり、サウナ上がりにこれを頼むなというのは、あまりに酷である。他にも普通に定食も千円程度で十分ボリュームもあり、味の方も「かごの屋」と同程度という感触というのは、殆ど反則ギリギリではないだろうか。

  また何を思ったか、散髪屋まで館内にあり、千円程度でカットできてしまう。当然、温泉で散髪しようなどという物好きは少ないので、割合に空いており、待ち時間もほとんどなく、散髪までできてしまう。これでは、一、二ヶ月に一回は来ることが決まったようのなものではないか。

  そして、もっとも狡猾極まりない点は、以上ような時間消費型サービスで、行けば半日は潰れるの割に、お風呂も入って、汗をかいて、散髪をして、ビールを飲んで、定食を食って、だいたい五千円程度で収まってしまうということだ。これでは、満足して家路につかざるを得ない。しかも、お風呂も食事も終わっているので、家に帰ると完全に寝るだけですむラクさ加減だ。

  以上、延口グループ(仮称)が如何に消費者を満足させて、リピーターを囲い込んでいるかを暴露した。皆さんの参考になれば幸いだ。

【歴史本】史記列伝抄

前回、「中国古代史の最前線」にて、長文をグダグダと書き殴りましたが、今回は、私好みの文献史学とはどんなものかということを体現するような一冊をご紹介しします。やっぱりそれは、宮崎市定なんですけど。

新書でもなくハードカバーで三千六百円もしますが、全集にも入っていないので、手元に置いておく価値は十分あるかと思います。宮崎市定の文章はリズムカルに読めますので、何処と言わず全ておすすめなのですが、前回の歴史観に関連する文章を念頭に特に「史記李斯列伝を読む」に目を通して見ると面白いと思います。氏のやり口というのは、司馬遷の手の内のカードを裏読みしつつ、そこから史料的事実を大胆に引き出してくる方法が、かなりの岡上好みの歴史の読み方なのです。これは、史料に対して、冷めた目を持ちつつも愛着を持って読み進めなければ出来ない芸当だと思うのです。

読み物として、普通に面白いのですが、大げさにいうなら、単なる典型的な悪役、完全なる悪を担わされた「趙高」という史的存在へのレクイエムにもなっているのではと思う次第です。


2019年1月3日木曜日

【歴史本】中国古代史研究の最前線

  今回の読書案内の更新は、佐藤信弥の「中国古代史の最前線」にします。

  本書は、その名のとおり、考古学的なもの出土文献・資料から、極めて具体的に中国古代史の復元を試みています。 そこから導き個々の事実は非常に興味深く、食い入るように読ませて頂きました、が。。。 実は、個人的な読書体験としては、ある種の違和感を感じざるを得ませんでした。

  その点とは、本書の折々に触れられており、その「伏流」をなす、歴史に対する態度、哲学についての言及についてです。少し長くなりますが、今回はその違和感の内容を少し詳しく説明することにします。以下、論文調でいきます。

  極めて大雑把に言って、学術的な考古学的な発掘がなかった時代、基本的には、前の時代から伝わった文献が、中国の歴史のほとんどであったと言って良いだろう。そしてその文献同士には相矛盾する点があり、それを比較し、検討し、より事実に近づこうとする学問的立場が、清朝から始まった「考証学」と呼ばれる立場である。「疑古派」と呼ばれるように彼らの学問的な立場は、文献に対して少し冷めた距離感を持っている。具体的に言えば、周代以前の歴史については、あまりに古く伝世された資料も少ないので、比較検討の余地がなく、信じるに足らない、という立場である。彼からすれば、書いてあるのものをそのまま歴史的な事実と認めることは、極めて不用意な態度であるといえる。そのような歴史に対する態度を「信古派」と呼ぶ。

  疑古派と信古派の違いを象徴的に表すのには、史記における始皇帝崩御に関わる宰相・李斯と宦官・趙高の密談が良いと私は考える。史記・李斯列伝では、宦官・趙高が、煮え切らない態度をとる宰相・李斯を説得し、始皇帝の偽勅を捏造し、胡亥を後継とするストーリーが、臨場感を持って描かれてる。偽勅にて、始皇帝の長子扶蘇を廃して、胡亥を皇帝に立てた李斯と趙高は、最期的には破滅を迎えている。ただ、よくよく考えてみると、こうした密談の内容はその性質として、それが秘密であるからして、史記のような歴史書にこうも如実に第三者にわかるはずがない。こうして、直ぐには文献を信じないのが「疑古派」の立場であり、それに対し、伝世文献に書いてあることを、兎に角は一旦そのまま信用するのが「信古派」の立場である。

 それらの伝統的な歴史的な立場に対して、近代になって次々と発掘・発見された考古学的な発掘物や出土文献を以って、伝世文献を裏付けしていこうという立場が、「釈古派」と呼ばれる。本書では、基本的には伝世文献と出土文献を突合し、歴史的な事実を復元してしていこうという立場である二重証拠法による「釈古派」こそが「科学的な思考」に近いとし、さらには、秦の始皇帝陵の兵馬俑や殷墟さらには夏王朝の王都と、疑古派がその存在を疑ったものが、近代において次々と発掘されるに及んで、最終手には「釈古派」が勝利したとする。

  しかし、中国の古代史に関して言えば、基本的には発掘された遺物が次々と文献的な事実を証明していく結果となっている現状は、立場を変えてみれば、それは「疑古派」に対する「信古派」の勝利とも言えなくもない。そこで、本書の作者は、その「釈古派」の立場の中にすら、古い「信古派」の文献史学の残骸を見、より純粋に考古学的な立場からの歴史の復元をするより先鋭的な学問的な立ち位置にこそ、より共感的であるようであり、「釈古派」のその勝利の奢りの隙間に、「信古派」復活のような時代錯誤が紛れてこないかという警鐘を鳴らしている。そして、その戒めとして、本書の最後には、中国古代思想史の研究者、西山尚志の意見を引用することで締めくくられている。私もある意味でそれが非常に重要であると考えるので、少し長いが、その全文を引用しよう。

****引用*****
  関係する出土文献が現れなければ、伝世文献の記述は、取り敢えず真実として扱わなければならないということで、西山はこうした態度を反証可能性を拒否・放棄し、反証によって真理に近付いていこうとするアプローチを閉ざすものであると批判する。そして近代において二重証拠法は、多くの研究者がさほど重視していなかった出土文献の史料としての有用性を喧伝するという効果はあったが、一方で「伝世文献の内容は必ずしも偽ではない」「疑いすぎてはいけない」と、伝世文献に対する文献批判、史料批判を封じる役割を担ったとし、反証不可能な命題をもって、反証を封じることがどのような結果をもたらしたかと、戦前の日本の歴史学の状況を想起させつつ問い掛ける。

  実は、私が感じた違和感とは、まさにこの本書の結論というべき部分に代表されている。つまり、本書の作者にとって、「歴史」というのは、科学的な手法に則って証明された事実の集合体に過ぎないのでは、ということだ。私に言わせてもらえば、考古学的な遺物が示す考古学的な事実にせよ、複数文献間で証明された文献学的な事実にせよ、それを寄せ集めただけでは、まったくもって「歴史」と称するには、不足しているのである。それは恰も、いくら細胞の機能について分析し、事実を収集してもその集合である「人間」の全てが分かるようにならないのとまったく同じであり、私にとって個々の事実の寄せ集めには基本的にさほど大きな興味はないのである。

  過去存在について、確実に分かったものだけを事実と認め、その集積にしか歴史を認めない、というのは一見非常に慎重な態度であるのだが、逆から言えば、それはとるに足らないような退屈な事実、忘却の彼方に押しやられた事実までをも背景に持つ「歴史」という豊かすぎる内実を持つものを対象にするには、あまりに偏狭で、不自由な態度なのである。実際、我々の平々凡々で、何の記録にも残らないような日常が集積したものが歴史である。例えば、2年前の2016年四月某日の私、岡上佑の食べた朝食の内容、4年前の通勤において私が目にした雑誌の表題とそれが私のその年の投票行動に与えた影響、さらには、私が通った幼稚園の先生の口元にホクロがあったかどうか、こうしたものは歴史的事実いうにはあまりに些細で平凡すぎる内容であり、それ故に記録には残りにくいので、それを証明することは困難だろう。しかし、それらが現実問題として証明されないからといって、それらを「歴史」から排除してしまうべきではないのである。

 少し哲学的な言い方をすれば、基本的に我々が背負う過去とは、その証明可能性とは、無関係には存在しているのである。それが証明できないのは、ひとえに我々人間の無力さ、無能さの所以であって、我々の認識能力の低さから、ある歴史的な事象を証明できないからとって、それを存在しないものとして、学問の場から排除してしまうことは、大きな間違いなのである。卑近な例えをすると、犯人の似顔絵を想像するのが良いだろう。確かに事実として確実に分かったものだけを書こうとするのは、非常に堅実な方法だと言えるが、人の記憶など、そもそも曖昧なところがあり、不可避的にその本質としてそれが存在しているである。わからないから書かない、書けないという態度で「のっぺらぼう」のまま放置するなど、そもそもが「(不完全な認識しか持たない)人間が似顔絵を書く」という行為そのものと矛盾している。少なくともそんなものは、犯人探しには、まったく役にたたない。我々が知りたいは、犯人の表情であったり、印象であったりで、そんな不確実な情報、知識でも、それが存外、犯人特定の役には立ったりするのである。勿論、誤認逮捕は避けないといけないが、ここで言いたいいのは、いかに確実といっても、白紙の似顔絵ほど、ナンセンスなものはないのである。

 少し話が過ぎたが、例の引用文に戻るならこうである。ここでは、「伝世文献の内容は必ずしも偽ではない」という比較的穏当な命題について、「文献批判、史料批判を封じる役割を担い、戦前の歴史学を想起される」と問題提起されている。これは、率直に言って、全くもってとんでもない論理である。「伝世文献の内容は必ずしも偽ではない」という命題が偽であるという主張は、「伝世文献の内容は必ず偽である(または真である)」ということと等価である。伝世文献を慎重に取り扱うべき、という主旨は100%同意であるが、間違った推論に基づいた考古資料のみが歴史であるというような態度からくる、干からびてパサパサの歴史など、まったくの願い下げである。先に挙げた「李斯と趙高の密談」を挙げるなら、事実の集合体としての歴史にはこうした物語じみたエピソードは残らないであろう。しかし、我々が手にしてきた「歴史」には、たしかにこのエピソードは存在するし、可能性としての内包の一つとして、このエピソードを歴史の内に留める勇気が必要なのではないか。司馬遷の史記、ヘロドトスの歴史などを例に出すまでもなく、歴史は物語性は切っても切り離せないものとして、古来から存在してきた。History のスペルの中には、Storyが隠れている。歴史から物語性を排除するなど、香ばしいカフェラテから、コーヒー成分を抜くような愚行であって、それでは残るのは水で薄めた牛乳が関の山なのである。私はこう言いたい。歴史にとって物語性とは、カフェラテのなかのコーヒー成分であって、その点こそ、大人の嗜好に相応わしい点なのである。

  先に挙げた引用文には、「関係する出土文献が現れなければ、伝世文献の記述は、取り敢えず真実として扱わなければならない」とあり、その後の文でこの考え方に批判を加えているが、この命題を批判したいなら非常に簡単であり、これはこの命題の根底にある「文献的事実は『真』か『偽』が何れかである」という態度がおかしいのであって、先に挙げた通り、証拠によって証明されていない事実とは、単に現時点の人間の有限の認識能力では、単なる真偽不明の命題というだけであり、決して否定的な証拠が出ていないからといって排中律を持って自動的にそれが『真』であるとは論理的には言えないのである。

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以上、ちょっと硬くなりすぎましたし、こうした批判はちょっと本書に対しては的外れとも思えますが、実はこれ、たぶんお気づきと思いますが、私の日本古代史に関する考えをこの場を借りて表明させて頂いたということです。司馬遷の史記、ヘロドトスの歴史に見る歴史を日本の記紀にも堂々と見ていいという私の主張でした。

という訳で誰も見てないブログですが、長文失礼しました



2019年1月2日水曜日

奈良県近辺の温泉 Best3

 新年明けましておめでとう御座います。

 少々唐突ですが、奈良県近辺の温泉ベスト3を選定しました。じつは年末になかなか良い温泉に入ったので、ちょっと記録に残しておこうかな、と思ったのです。

 選定基準は「贅沢な気分になれるかどうか」でしょうか。私は恥ずかしながらかなりの貧乏性ですので、単に豪華というわけでなく、「この金額でこんないい温泉入れちゃって、なんて贅沢なんだ」という気分にさせてくれることが最重要項目です。有り体に言えばコスパ重視と言ってしまっても良いでしょうか。ベスト3といっても、それぞれ長短ありますので、3つの中で明確な順位があるわけではありませんが、ま、それでもお気に入りという意味で、敢えてつけておきましょう。


<3位> 曽爾高原 お亀の湯
 3位はかなり有名かもしれませんが、曽爾高原、お亀の湯です。ナトリウムー炭酸水素塩温泉で、ヌルヌル感は驚愕です。特別な温泉にまで来たんだと言うことを正しく肌感覚で、実感することができます。もともと曽爾高原自身、ススキで非常に有名ですし、露天風呂から見える兜岳も解放感あっていいです。打たせ湯やサウナがあるのも温泉をイロイロと満喫するという意味ではポイント高いです。

 真冬に行くと雪も積もるので特別感がさらに増しますが、結構山側に登るので、スタッドレスを履いてくる必要がありそうです。ただ一点、源泉風呂も一部ありますが、他は加温と循環はしていますので、その点だけほんのちょっと残念です。すぐ側のレストランは、単価がソコソコな割にいつも混雑もしていますので敬遠してますが、かなり雰囲気は良さそうです。

 また湯上りの肌のスベスベ感も特筆すべきところ。この温泉の隠れた楽しみは、帰りの西名阪をドライブしている時にもあります。浴後のツルツル感を無料の二車線道路で実感する愉悦。一粒で二度美味しい感じがします。

評価☆
アクセス:☆☆☆
施設        :☆☆☆☆
泉質        :☆☆☆☆☆
雰囲気    :☆☆☆☆
総合評価:☆☆☆☆☆

http://www.soni-kogen.com/okame.html









2位>湯元山荘  湯の口温泉
 2位は三重県と奈良県と和歌山県の県境にある湯の口温泉です。今回年末に泊まりにいきました(笑)奈良県側から169号線でいく何度も奈良、和歌山、三重県境を越えていくので、不思議な気持ちになれます。閉鉱山の近くにある温泉なので、廃線を利用したトロッコに乗ることもできます。ポイントは、なんといってもコスパの良さと贅沢感です。贅沢感を感じる理由は、源泉掛け流しの温泉にあります。露天風呂から湯気を上げながらそのままドンドン排水路に流れ出ていく様をみていると、自然と贅沢な気持ちになって来ます(笑)。普段家で栓を入れずにお風呂を入れたりすると素でかなり落ち込んだりしますが、如何に自分が小さい人間か、この時だけは、自然そのままって豪華だなぁと思います。泉質はナトリウム、カルシウム塩化物泉とのことで、入浴したところ、そこまで尖ってはいない感じでしたが、有馬温泉の金の湯のような、湯上りのポカポカ感がかなりありました。

 宿泊施設は、バンガローなどの自泊施設だけですが、これを複数人で利用すると非常に格安になります。施設全体が2015年にリニューアルしたばかりなので、全般的にかなり綺麗で、その点でも非常に気持ちよく利用させていただくことができます。きっとこれだけ安いのは、温泉自体に加温や循環なしで全くコストが掛かっていないのが最大の理由なのでしょうか?正直申しまして、一発でかなりのファンになってしまいました。

評価☆
アクセス :☆
施設        :☆☆☆☆☆
泉質        :☆☆☆☆☆
雰囲気    :☆☆☆
総合評価:☆☆☆☆☆











1位> 十津川温泉 庵の湯
 堂々の一位には、十津川温泉 庵の湯を推したいと思います。この温泉は温泉そのものを楽しむという「一丁目一番地」に於いて出色の存在ですので、付属施設的には上述の二箇所にはかなり見劣りしてしまいますが、それでも敢えて一位に挙げさせていただきます。

 近くのバスターミナル近くの村営駐車場からに止めて、温泉施設に近づくと穏やかな硫黄臭が漂ってきます。その時点で良い温泉にきたような期待感がかなりグッと高まります。肝心のお湯のほうは、「源泉掛け流し宣言」をしている十津川村の温泉ですので、勿論源泉掛け流しです。加温は勿論、温度を落とすための加水もしていないので、ちょっと熱めのお湯加減の時があるように思いますので、やっぱり寒い季節に来たいですね。湯の花もかなり出てきていますし、嗅覚意外にも、視覚的にもまさしく、ああ、本当の温泉ってこうなんだな、と本当の温泉を堪能しているということを強く実感できます。施設も豪華とはいませんが、古びた感じは全くなく清潔ですし、ヒノキ風呂ですので、まさしくど真ん中の温泉という趣で、入浴そのものをたのしむには、全く過不足ありません。入浴後は、表で飲泉させて頂いたあと、足湯に浸りながら、湖の風景をぼーっと眺めて余韻を楽しむことができます。

 入浴料はたった四百円しかしませんし、十津川村には、残念ながら高速を使ってくることはできないので、お財布的には全く痛みはではないです。むしろ必要なのは、時間的な投入で、ここまで日帰りにて温泉に来ること自体、かなり贅沢な時間の使い方をしないといけないですが、入湯後は、わざわざ遠いところまで来て良かったと感じれますね!

評価☆
アクセス :☆☆
施設        :☆☆☆
泉質        :☆☆☆☆☆☆
雰囲気    :☆☆☆☆
総合評価:☆☆☆☆☆