2021年7月17日土曜日

【歴史本】「魏志倭人伝の謎を解く」

今回は、 渡邉義浩の「魏志倭人伝の謎を解く」です。


 実は本書についての論評は二回目で、実は #辛口書評シリーズ として、すでに一回取り上げているのです。その時も魏志読解自体の甘さを批判したのですが、では二回目はどうかというと、今度もやはり批判です。有名な先生ですし、気に障るかたも少なからずいるかと思いますが、よく世に出回る常識的な仮説だからこそ、こうして論難の矛先に上がる物だと割り切って頂ければ幸甚です、渡邉先生の書作が好きな人は読まない方がいいでしょう。(間違って読んでも怒らないでね)。


 前置きはさて置き、本著に対して大きく失望したことは、それが史料批判、魏志の成り立ち、陳寿の執筆の意図を復元しようとするにも関わらず、それが全くの表層的な面に止まり、肝心のところを見失っているからである。例えば、本書の説くところによると、司馬氏を称揚したい政治的動機を持つ陳寿は、邪馬臺国の所在を敵国、孫呉の後ろに位置付けたという。これはちょっと変な話である。なぜなら同書にも説明がされているように、陳寿はなんらかの既存史料を参照したものと思われるが、帯方郡から万二千里の彼方というのは、その既存史料である魏略に書かれているものをそのまま転載したに過ぎず、倭国への距離と陳寿自身の政治的志向というものは、ほとんど問題にならないからだ。史料批判を掲げるならば、万二千里の世界観を構築したのは、魏略の作者である魚豢であって陳寿ではない。史料批判を厳密に行うのならば、万二千里の世界観と陳寿の政治的立場というものは、関連づける積極的根拠はなにもない、つまり陳寿の政治的立場から邪馬臺国の所在を敵国、孫呉の後ろに位置付けたというのは単なる憶測に過ぎないということになる。


 さらに付け足しておくならば、魏志に表れているのは、帯方郡を起点とした万二千里の世界観であるが、本書で語られるのは、尚書禹貢編に基づく長安や洛陽を中心にした方一万里の天下の世界観である。方一万里よりも二千里多い万二千里の世界というのは淮南子に出現しており、そこではまさに東方の極みの比喩である。陳寿の種本である魚豢の魏略は、ピッタリと数的に合致するこの万二千里の世界観を背景にしているのであって、わざわざ数字も起点も合致しない方一万里の九服の世界観だけを紹介するのは非常にミスリーディングである。渡邉ほどの専門家が淮南子に万二千里の記載があることを知らないはずがないから、これは魏志や魏略と淮南子が一致することを知りつつ敢えて無視したということであろう。


 本書がこうした偏った構成になっているのは、どうも渡邉本人が畿内説支持であり、「方一万里の世界観」で九州到着後、不彌国以降の残り千三百里を日程で計算したとして、帳尻を合わせんとする下心からでたようである。本書によると、司馬懿の軍行が一日四十里だったことを引き合いに出し、不彌国から邪馬台国は千三百里を水陸都合二ヶ月にて渡ったと考え、「陳寿は邪馬台国に向かう使者の道程を「九州」を開いた禹の苦労に準えた(p132)」といっている。いかに苦し紛れとはいえ、どうもご都合主義もここまでくると、申し訳ないが噴飯物としか評しようがない。常識的に考えて、千三百里を二ヶ月かけたというのなら、総旅程の万二千里では片道で一年以上もの旅程になってしまうではないか。それに万二千里のうち、不彌国以降の残り千三百里のみが禹の苦労に比されるというのは、アンバランス極まりない。同じ万二千里の倭国への旅程でも、不彌国到着までの一万七百里は楽勝で、禹の苦労に比すべきものは特段なかったと、陳寿は暗に主張していたとでも言いたいのだろうか。


 本書の旅程記事への解釈が、謎を解くどころかチンプンカンプンの破綻に堕してしまっているのは、万二千里の世界観の大元である、魏略の著者である魚についての外的な史料批判がなおざりに過ぎるからである。本書にはそもそも魏略の成立年代についての論考はないようだが、陳寿の参照した種本として魏略に万二千里の表記があったことは紹介されている。ただ本書では、本文を顧みない勝手読みを犯してしまっている。それは、すなわち、現実の魏略逸文には邪馬台国への旅程の記述は存在しないもかかわらず、「魏略には邪馬台国そのものを記した部分はある(p129)」として、続いて「帯方より女王国に至るまで一万二千里である」という一文を引用しているのである。ここからわかることは、渡邉は、「女王国=邪馬台国」であるとなぜか同一視して、現実の魏略にはない邪馬台国への記載を、さもあったように勘違いしているのである。


 魚豢の魏略を一つの文献として読めば、そこにあるのは、帯方から女王国が万二千里であったという事実のみであり、それは淮南子の世界観を転用したものである。渡邉は万二千の解釈を行うにも、陳寿と魚豢を無分別に行うべきではなかった。実際の魏略にはない邪馬台国という概念を魏略の万二千里の解釈に密輸入したことが、渡邉の旅程記事解釈が破綻した理由であろう。本書では、内的な史料批判にて魏志を読解することを主張するが、史料批判による新解釈を旗印に掲げるのであれば、まずは魏略とその著者である魚豢に対する慎重で外的な史料批判がまず必要であった。その本書の実態を率直に書けば、外的な史料批判を捨て置き、陳寿の政治的立場を曲解した上で過剰なる憶測に基づいて、陳寿という人を、魏志を、それから倭人伝を読み誤った本、それが私の評価である。